プレイハウス

出会い

 普段そうしていたように、朝は早くに起床し、その日は語学の勉強をした。他国の言葉というのは難しく、しかしなかなか面白いものでもあった。同じ林檎でも、生まれた場所や住む場所が違うだけで、全く違う名前になるのだ。それでも同じ林檎のことを指しているのだから、不思議な話だなぁと思った。
 午後は剣術。身体を動かすのが苦手なココにとっては、なかなかの苦痛を強いられる時間だった。王子たるもの剣の嗜みくらいは、と言われはするものの、練習用の軽い木の剣ですら満足に振るえない。嗜むどころか振り回される始末なものだから、剣術の先生には苦笑いをされてしまった。

 ヘトヘトにくたびれ果て、もう寝ようかと思った時に、ふと窓から漏れる月明かりに目を留めた。近寄ると、大きな満月がぽっかりと空に浮かんでいる。
 こんなに月が綺麗なのに、窓から眺めるだけではもったいない。外はなかなかに暗くなっていたが、バルコニーに出るくらいならば問題ないだろう。そう思って足を運ぶと、夜の外気は多少冷えていたが、済んだ空気がより一層、月明かりと星々を美しく輝かせていた。

「ねえ、あなたが王子様?」

 夜空に見とれるココに、声が投げられたのはそんな時だった。

 振り返るとそこには、箒で空を飛ぶ、一人の少女がいた。真っ黒なフードを被り、白い髪、白い肌。全体的に彩度が欠けた外見の中、一際赤く輝く双眸に目を奪われる。
 綺麗な子だな、と思った。そして月明かりがとても似合う、不思議な雰囲気を醸し出していた。容貌から察するに、歳は近いのだろう。

「そうだよ。ぼくはココ。キミは?」
「私はキンスよ」

 無表情のまま、薄い抑揚でそう名乗ると、キンスはバルコニーへと降り立った。その姿をぱちくりと眺めたあと、おずおずと口を開く。

「ねえ、キンス。今、飛んでたよね。その……箒で」
「ええ。私は魔女なの。森に住んでいるのよ」
「魔女……!?」

 真っ先に連想されたのは、愛読している童話集の中の魔女、ないしは魔法使いだった。魔法を振るい、人々を幸せにも、不幸にもする。物語では、お姫様を助けたり、脅かしたりする存在だ。

「魔女って、ホントに箒で飛ぶんだぁ……」

 間の抜けた感想に、今度はキンスが目を瞬かせた。少し恥ずかしくなって、ココはえへへと頭をかく。

「あのね。ぼく、お城から出たことがなくって。魔女さんに会うの、初めてなんだ」
「そう。私も王子様に会うのは初めてよ。光栄ね」

 大きな瞳で真っ直ぐ見据えられながらそんなことを言われると、何だか照れてしまう。

 歳の近い子どもと話すのは初めてだった。城には大人しかおらず、ココも大人になるまでは城下にも足を運んではいけないと言いつけられていた。子どもと話したことがないのも当然といえば当然な話だ。

「外には、キンスみたいな魔女さんもたくさんいるの?」

 そしてこれも当然だが、お城の外の話だって知らない。いや、知識としては知っているのだが、実際には知らないに等しい。現にこうして、外の世界に魔女が実在することを今日初めて知ったのだ。

「いいえ。私も他の魔女には会ったことがないわ。でも、私だけという訳でもないでしょう。いるんじゃないかしら、魔女」

 言いながら、さして興味もなさそうだった。対するココは少しばかり残念そうに俯く。

「じゃあ、キンスは独りなの?家族とかは?」
「家族なら……いるわ。小煩い、兄みたいなのが」
「お兄さん!そっかあ!よかったっ!」

 素直に喜ぶと、初めてキンスが少し表情を崩した。少し怪訝そうに眉根を寄せたが、すぐ元に戻った。

「ぼく、ひとりっ子なんだ。だから、お兄さんとか、妹とか、憧れるなぁ……」

 もし、兄や妹でもいたのなら、たくさん遊んだことだろう。今みたいに、本ばかり読んでいるような生活でもないかもしれない。読書は楽しいものだけれど、やっぱり誰かと話したりする方がもっと好きだった。

「――ねえ、ココ」

 そんな事を考えていると、不意に名を呼ばれた。何だろう、と相手を見やる。

「あなた、本当に王子様なのよね?」
「え?うん。そうだよ」

 まさか改めて訊かれるとは思ってもいなかった。そんなに王子に見えないだろうか。思わず自分の身なりを確認してみるが、そもそも王子に見えるとか見えないとかはどこで判断するのだろう。

 しかし続くキンスの言葉は、そんな心配を全て吹き飛ばすものだった。

「そう。女の子なのに、おかしな話ね」
「え?」
「いえ、忘れて頂戴。じゃあ、そろそろ帰るわね」
「え……ええええ!!帰っちゃうの!!」

 驚き半分、ガッカリ半分の歩合でそんな声が漏れた。しかし考えてみれば、ココ当人も寝ようとしていたはずだったのだ。それから話し込んでしまったわけだから、いい時間であることも否定のしようがなかった。今から森まで帰って、キンスが家まで辿り着く頃には何時になっているのだろう。

「せっかくお友達ができたと思ったのに……」

 頭では分かりはするものの、口をついて出たそれは紛れもなく本心だった。残念な気持ちが非常に強い。

「また来るわ。次の満月に」
「……!ほんと!?」
「ええ。……友達、なんでしょう?」

 その言葉を聞き、ココの表情がぱあっと輝いた。それを確認すると、キンスは足早に箒に腰掛けふわりと宙に浮く。

「約束だよ!また遊びに来てね!」
「ええ。じゃあ、また今度ね」

 滑るように、箒が夜闇を駆けた。その後ろ姿が見えなくなるまで、ココは手を振って見送り続けた。


 これが、今から何度か前の満月の夜――そして、ココに初めての友達ができた、その日の出来事だ。
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