プレイハウス

満月の夜

 ちらりと窓の外を覗くと、もうすっかり薄暗闇に覆われていた。夕日が沈み、しかしまだなお白む西の空。その反対側には、柔らかな光を讃えた満月が浮かんでいる。

 いい天気でよかった。そう微笑むと、ココは視線を本へと戻した。

 挿絵のない分厚い本。表紙には、豪華な装丁でしかしシンプルに、『童話集』の文字が箔押しされている。
 いばら姫、そのクライマックスだ。茨に包まれた城の最深部で眠るお姫様。その美しさに心を奪われた王子様は、天蓋を開き、姫へ口付けを――

 そわそわと、視線が再度窓へと彷徨う。

 何度も読んだ物語で、ココのお気に入りのお話の一つ、いばら姫。いばら姫の王子様のように、いや、数多ある童話の王子様がそうであるように、いつしかお姫様を幸せにする、そんな王子になりたいと常日頃感じていた。
 生まれ持って王子と呼ばれたココにとって、自分が誰かを幸せにすることができるのならばそれ以上に嬉しいことはなかった。勿論、その誰かが姫である必要は決してなく、いずれ国を治める立派な国王となるべく英才教育という名のもと、9歳にして勉強漬けの日々を送っていた。
 遊び相手のいないこの城の中では娯楽と呼べる娯楽が少なく、勉強の息抜きがてらに行う読書がココの唯一の楽しみであった。特にいばら姫のような、王子と姫が幸せに、めでたしめでたしで終わる物語が大好きで、そんなココが目指す王子像が童話の世界に傾倒するのは無理もない話であった。

 と、いうのに。その大好きな物語の、しかも見せ場とも呼べる場面を迎えながらもなお、意識は物語の外、ただただ満月の空を気にかけていた。

「……キンス、今日は来るかなぁ」

 前回の満月は、残念にも雨天となった。昼の内からてるてる坊主をぶら下げて祈ってもみたのだが、甲斐なく雨は一日中降り続いた。心待ちにしていただけに、とてもしょんぼりとしたものだ。それを思い出してか少し心配そうに再度窓の外を見やると、ふうと息をついて読んでいた本をパタリと閉じた。

 立ち上がると、その足はバルコニーへと向いた。日が落ちきって間もなく、まだ空は仄かに明るい。城下町を見下ろせる高さに位置した自室のバルコニーから、城下を囲う城壁のその更に向こう、青々と広がる森へと視線を向ける。厳密にはその上空を、何かを探すように彷徨わせた。
 暫くそうしてきょろきょろしていただろうか。目当てのものと思しき影を視認したのは、そんな時だった。

「……あ!」

 背丈ほどの高さもなく心許ない高欄からその身を乗り出し、思わず声を漏らす。相手にもこちらの姿が見えているだろうか。分からないけれど、ココの表情から心配の色は消え、代わりに咲くような笑顔が零れた。
 空を飛ぶそれは、しかし鳥とは違う様相だ。羽ばたくことなく、徐々に暗くなっていく空をこちらに向かって飛行している。ああ、間違いない。より一層確信を強めると何だか嬉しくなって、影に向かって大きく手を振った。
 近付くにつれ、その姿がはっきりと視認できるようになる。やはり勿論鳥などではなく、一人の少女の姿だ。空飛ぶ箒に腰かけて、城下の遥か上空をこちらへと向かっていた。ようやくこちらに気付いたのだろう、心なしかその飛行速度が速まったように感じた。

 黒いフード付きの衣装を身にまとい、白銀のような美しい髪を風になびかせながら、ふわりと少女はココの前で静止する。

「キンス!よかった、来てくれた……っ」
「……お久し振り、ココ」

 素直に安堵を口にすると、その少女――キンスは、その端麗な顔も相まって、人形かと思えるようなポーカーフェイスで、そう、ココに言葉を投げかけるのだった。
Copyright (c) 2017 mello All rights reserved.
 

powered by HTML DWARF